ひらけ!メディア
日・韓メディア芸術の現在2007~「韓流映画のなかで」
11月5日 15:00~16:30 東京工芸大学 芸術情報館ホールにて
講演 『韓流映画の中で』
講師 ポン・ジュノ(奉俊昊)<봉준호>、西村安弘(工芸大学准教授)
定員200名のホールに約30人程の来場者。このセミナーのために一泊二日の日程で来日されたポン・ジュノ監督が、工芸大学准教授西村氏とのQ&A形式で約2時間、疲れも見せずにたっぷり語ってくれた。
西村氏: 日韓メディア芸術の中から韓国映画について、「日本と韓国の若手監督の悩み」などを中心に、韓国映画界を代表する若手監督で、最近日本でも映画を撮影されたポン・ジュノ監督に話していただきます。
봉監督: 韓国映画の代表などとは思っていないです。悩み、学びながら映画を撮っている若手の一人として話したい。
西村Q: 監督と日本のアニメ
봉監督: 父がデザイン関係の仕事をしていた関係で子供の頃からアニメや漫画などへの関心が深かった。一時はアニメーション監督を目指した事もある。当時はアメリカ・ヨーロッパ・日本などのアニメは海賊版で見ていた。「マーベル2世」「妖怪人間」(
私事。。昔ベラに似てると言われた事がある=・・いい気持ちはしなかった)「ガラスの仮面」なんかが好き。
<ガラスの仮面はまだ完結しない>現在もアニメやマンガからインスピレーションを得る事が多いし、映画のコンテは自作の漫画で書いている
。(グエムルのスペシャルDVDには監督の絵コンテBOOKが付いるヨ)
西村Q: 大学では社会学を専攻されましたが、卒論のテーマは映画だったとか
봉監督: 大学では勉強ではなく、ずっと映画サークルで映画を観たり、作ったりしていた。<봉監督は1969年生まれ>卒論のテーマは「第三世界の映画□□□
<ここ、聞き取れなかった▼>と政治イデオロギー」 無理やり映画と社会学を結び付けました。何とか認めてもらって卒業できました。映画と社会学を融合させようとか、学問的野心はまったくなかった(笑)。でも韓国社会への関心は持っている。社会的な面は自分の映画の2部的要素だ。幼少の頃「自転車泥棒」を観て、自転車を盗まれるという単純なテーマで人を感動させられる事が凄いと思った。ただ社会的な面を描くのではなく、映画自体が与える衝撃に社会的要素を融合させたい。
<ここでハリウッド的なものについて語っていたが聞き漏らした>
西村Q: 日本でも最近は社会学で映画を学ぶ事が多くなった。・・大学卒業後は?
봉監督: 韓国映画アカデミーで1年映画作りを学んだ。ここは大学院に相当する施設で実習が中心、3ヶ月間技術の授業を受けたあと実習で短編映画を作る。自分の作品の他にグループメンバーの制作に携わるので監督以外に撮影・音響など映画作りに必要なスタッフ経験が出来た。僕も撮影監督を担当して山の上の撮影現場まで重いカメラを抱えて登ったことがある。お陰で他のスタッフの苦労がわかるようになったことが今の映画作りに役立っている。
1984年に創立された韓国映画アカデミーは、監督が入学された頃は1年で演出を学ぶコースだけ、入学者は映画制作経験者やプロとして携わっている人のみの少数精鋭型。現在は2年制になりコースもプロデューサ-・制作・撮影・など幅広くなっている。
<以前、ユ・ジテもここで学んでいたとSSFFのセミナーで話していた。>
西村Q: 日本では最近東京芸術大学で映画学科が出来ましたが、専門教育機関で映画を学べる機会はまだ少ない。
<東京藝術大学大学院映像研究科・・2005年設置>
ところで、日本の演出家はシナリオが書ける文学上がりが多いが、봉監督もシナリオを書いています。
<봉監督がシナリオを担当したモーテルカクタスとユリョン>それについて話してください。
봉監督: シナリオには(人間)理解が大切。他にテクノロジーに対する理解が大事と考えている。スタッフ(他のパート)への理解。例えば『リング』の貞子は自分の頭の中のイメージをそのままビデオに映し出します。が、実際は多くの人が携わり一つを作り上げる。
<一行のト書きを映像化するために必要な作業、労苦を知っていなければ書けない。という意味の説明かなぁ・・この時「봉監督、リング観たんだ・・気に入ってるのかな」とボヤッと考えたので またまた聞き漏らした▼>
モーテルカクタスとユリョンのシナリオは共同制作で봉監督はサポート的立場だった。結婚していたので生活のためだった。長編をシナリオから体験できたので良かった。通常は共同制作の場合、メインとサポートに分かれる。7月に黒澤監督がシナリオを書いていた旅館へ行った。黒澤監督の場合は何人かに書かせて一番いいシーンを繋いで作っていく。が、シナリオの仕上げは監督が一人でやるべきだと思う。共同制作では執着を捨てて冷静に作品を作ることを心がけた。自分の演出作品の場合は感情的に深く入り込んで(書きながら涙を流したり)しまう。
西村Q: ユリョンについて
봉監督: 潜水艦映画=ジャンル的監修に沿って作った。大筋を変更できなかった。制約の中での作品作り。私の場合は「まぁいいや」と進んだが、台詞「日本に核攻撃をするのは、まだ早い」は、我々3人の脚本家が書いたものではなく制作会社の意図で付け加えられた。また、公開後、チェ・ミンスの「日本に5千年以来の恨みを晴らす!」「我々韓国民族の5千年の恨みがわかるか!!」の台詞に驚いた
<この辺から監督の表情が明るく変わり、おっ、のってきたぞ★と感じた。>この台詞はチェ・ミンスが収録前にお告げを受けて急遽追加された。製作者の意思に合った台詞だったからだ。この経験で商業映画の本質がわかった。記憶に残る映画だ。早くデビューしたくてもこういう映画の演出をしてはいけないと思った。シナリオを書くときは自分で。。。
<の後・・・・・・はい、大切なところでまた聞き漏らし▼。。「봉監督は自分の映画にチェ・ミンスを起用する事はないだろう」と思ってしまって▼>と学んだ。この時、映画『エド・ウット』の中のセリフ【他人の夢に自分を費やすな!】をかみしめた。
<私の胸にも突き刺さりました>
・・・ここからは봉監督の長編作品に沿って映画制作のこだわりを・・・
西村Q:
タイトル・・ほえる犬は噛まないについて
봉監督: 原作はペルギー、韓国で大ヒットのアニメーションだった。主題歌も(カラオケでも)ヒットしていて、歌の題名がフランダースの犬。映画の中でこの歌を歌うシーンもある。韓国での映画タイトルはここから取って「フランダースの犬」になった。これは制作会社が付けたタイトルで仕方なく従った。が、タイトルから暖かい家族映画を予想してきた観客が失望した。
その時タイトルの大切さを実感した。以降、タイトルは自分で付けている。
西村Q:
ジャンル規定・・作家性が前面に出た作品だけど、ジャンルの規定が出来なかったのでは。
봉監督: 確かにジャンルのせいで苦労が多かった。商業映画としてマーケティングする時にジャンルが重要だった。既成のジャンルには当てはめたくなかったがブラックコメディーとした。
自主制作映画と商業映画の違いを感じたし、ジャンルについて深く考えた。ジャンルの意味・意義・効果~など。それ以降、自らジャンルを明確にすることにしている。
私がジャンル映画を作るということは「ジャンルを壊す」ということになる。だからジャンル映画に挑戦した。ミュージカル以外の全てのジャンルを目指している。例えば、『殺人の追憶』=は 刑事ジャンル・社会ジャンル。だが、
刑事の人物キャラクターを
①負け犬的キャラクターにしたこと。
互いを否定していた都会の刑事と田舎の刑事のキャラクターを(セオリーどおり)
②自然に同化させ、最後には考え方を入れ替わらせたこと。
③結局、犯人が解らないまま終わること。
この結末で、映画が実はこんな犯罪を生み出した80年代の社会に疑問を投げかけていることが浮き彫りになる。
④刑事ジャンル→社会ジャンル、ジャンルの移行。
『グエムル』=は怪物ジャンル。だが、
①昼間に怪物が現れること。
②ヒーローになるべき主人公はばかげた家族。
③怪物と戦う目的が果たされなかったこと。
西村Q: グエムルではピョン・ヒボンが印象的でしたが
キャスティングについて
봉監督: 登場人物像のばかげた刑事やばかげた家族にはユーモアがある。
ユーモアは
リアリティに基づいている。笑いを意図しているわけではないが自然に生まれてくる。ピョン・ヒボン(長編3作品とも出演)は独特な韓国的雰囲気を持っている。60年~70年代のTVドラマシリーズに強い個性で出演していた。小学生の頃に観ていてファンだった。「私が監督になったらあの俳優さんと仕事がしたい」と思っていた。シナリオの段階からヒボンさんを頭に描いて書いていた。ソン・ガンホもヒボンも私にインスピレーションを与えてくれる役者だ。
私は頭の中で役者を比較してみる事がある。
ソン・ガンホは韓国的リアリティに溢れる役者で存在感が凄い。その韓国的リアリティで場面を支配する。
逆にペ・ドゥナは場面の中に静かに、徐々に、漫画的な雰囲気を作っていく。
ペ・ドゥナとは「ほえる犬は噛まない」で初めて会った。韓国でも個性的な女優で、実生活でも常にワンテンポ遅いような、幽体離脱しているような娘(コ)です。
(ワイドネタ=봉監督とペ・ドゥナが付き合っていると聞いた事があるので監督が「娘(コ)」と呼んだ時、変な違和感を感じた。。。実際は通訳ですが・・)
本人は「自分にはまともな衣装がない」と不満を言うが、「ほえる犬は噛まない」の黄色いカッパや「グエムル」のジャージ姿がピッタリ似合っていて、本人もカッパやジャージ姿を楽しんでいるように見える。「ほえる犬は噛まない」の黄色いカッパは衣装として予定していたのではなく、着せてみたら良かったので採用した。
「子猫をよろしく」や「リンダ・リンダ・リンダ」も彼女ならではの表現が生きている。
(なぜか、パク・ヘイルの話がなかった)
西村Q:
実話を素材にすること
봉監督: 「殺人の追憶」は、実話+実話を基にした演劇+私の想像力の3つを合わせて作った。ので、単に実話を映画化するのではなく実話プラス(+)フィクションの中に自分が感じた怒りや感想を入れて自分らしさを表現したかった。この作品で、
実話を基にしてストーリーを作る難しさを知った。
西村Q:
ハリウッド「殺人の追憶」の刑事や「グエムル」はハリウッド映画をベースにしたか
봉監督:
「殺人の追憶」では、二人の刑事のコントラスト(ジャンルセオリーどおり=ハリウッド的)が次第に薄れて、二人の境界が無意味になり、二人の立場が入れ替わる。一見、都会VS田舎を強調しているかに見えて、実はそれが無意味であり、犯人(犯罪)を生み出した80年代の韓国社会が問題である。と主張しています。
「グエムル」では、怪物の誕生、(化学物質に因って誕生)までの経緯は確かにハリウッド的。しかし、薬物を廃棄したのがアメリカ人だった と、実際に韓国の米軍であった事件を元にして(50年代の政府監修映画と同じく)アメリカを非難している点がある。
(この話、映画の公開時にも聞いたなぁ)が反面、戦う人々=主人公たちは普通の『韓国的ばかげた家族』です。※この点は初めから意図していていた。家長を中心に家族を守ろうとする「統一」を感じさせる最も韓国的な家族です。家族はモンスターと戦っているように見えるが、本当は
【拉致】と戦っています。誘拐者との戦いです。
西村Q: 韓国にとって家族分断そして統一はパターン化されたテーマだが
봉監督: 普遍性はないが、そういったところはある。 が、「グエムル」では、さまざまな関係の崩壊。 血ではなく新しい概念の家族感。 自分より弱いものを救おうとする姿。を描いた。
制作前は、「なぜ怪獣映画と作るのか。」と(家族にも)いわれつづけた。韓国には怪獣映画の伝統がないので偏見に包まれていた。韓国で怪獣映画がないのに、モンスター映画の慣習を壊すようなものを作りたかった。
(現在の映画テーマで、ハリウッドを感じさせないものはむずかしいのでは・・ハリウッドではあまりに多くの映画が作られているし、頭打ちになったハリウッド映画が各国の映画素材を物色しているから。・・・・てな 意見も言っていたようなぁ・・・・・▼)
西村Q: 監督の作品中 効果的に使われる「
雨」の意味について
봉監督:
「殺人の追憶」は実話でも雨が降っていた。が、それとは別に
私自身が雨の設定を好んだ。「七人の侍」のような雨のシーンには、監督であれば誰でも憧れるのではないか。 と思う
。(おっ!またもや黒澤だ☆ あの雨のシーンは日本でだけでなく「映画監督なら誰でも・・」なのね。凄い!! リアルに映すために、水に墨を入れて降らせたんだよね♪ ・・私も黒澤作品が大好きです。)
雨のシーンだけが表現できるもの・・・・・目、音、ぬめぬめした感触、・・・・・五感を刺激してくれる「雨だけ」のものを持っている。
「殺人の追憶」の夜の雨のシーン=あの場面は雨が主人公だった。雨によって壮絶さが出た。
「グエムル」のおじいちゃんVS怪物のシーンは、17日かかって撮った。・・・・三池監督なら17日で映画1本撮れる(笑)・・・・・
(おっ!今度は三池か☆) スタッフは今でもあのシーンの現場を通るとゾッとすると言う。
(ぁっ、私、その現場に行きましたょ。今年の大鐘賞映画祭のノミネート作品上映の野外ステージだったところです。)
西村Q:
韓国と日本の映画制作環境・・韓国の方が良いようですが
봉監督: 今は違ってきた。今回の
『Shaking Tokyo』(30分)の撮影で3週間、日本の撮影システムを経験した。
(※最新作で来年公開予定のオムバス映画。外国人が見た東京とは?を三人の外国人監督が日本人キャストとスタッフで制作した映画『TOKYO』の봉監督作品。夏に撮影された。監督以外には記録係と制作担当の2人だけが韓国スタッフ、後は全て日本のスタッフだった。)
韓国がこれから日本的になっていくと思った。
要因にはまず、労働組合が出来たので韓国内のスタッフ契約の変化がある。
(そういえば・・チョン・ジュノなどがニュースに出てたような)・・・いままでは作品ごとの契約だったが、1週間契約に変わった。 日本→プロダクション契約。 今後は「いかにタイトに作っていくか」が重要になっていく。現在は、韓国→3ヶ月~4ヶ月/1本。 日本→1ヶ月~1.5ヶ月/1本。
この変化へは肯定的だが、長い時間をかけて作る良さ=映画の破壊力が失われていくように感じる。
西村Q: 봉監督ご自身の作品は制作時間が増えているようですが
봉監督: 確かに一作ごとに規模が大きくなっているが、たまたまです。「TOKYO」は小さな規模だし、この次は「ほえる犬は噛まない」と「殺人の追憶」の間くらいの規模になる予定。
韓国の映画産業では予算や時間など制作状況が厳しくなってきている。これからもっと難しくなると思う。
西村Q: 新作『TOKYO』について
봉監督: TOKYOに対する私の印象を映画にしている。私には東京に住む人が寂しく見えた。
(東京に住む身として・・・ズキンとした) 繁華街の人ごみ、コンビニなど、人が多くても寂しく見えます。
そして、がらんとした東京をテーマにしている写真集
『TOKYO NOBODY』からヒントを得ました
。(中野正貴写真集=渋谷の駅前、銀座のビル街、誰もいない東京――。 人のいない場所を求めて11年間撮り続け、世紀末に残した問題作!=だそうです。)寂しい人の象徴として「ひきこもり」をテーマにした。・・・ひきこもりが1週間に一回ピザの出前を取る。そしてピザのデリバリーの少女に恋をする。・・・話です。
最後に、
観客Q: 「グエムル」では実際に下水道で撮影したと聞きました。リアリティへのこだわりは?
봉監督: リアリティはいかにらしく見えるかが重要です。エモーショナルなリアリティ。今回も東京らしくみせるために都内ではなく、東京近郊で撮影をした部分があります。私自身はやはり外国人なので、日本的な感受性を表現する為に俳優たち、香川さんや竹中さんに(感情的な交流を通して)手伝ってもらいました。
(・・これを機に・・봉監督の今後の作品でも 竹中さんに会いたい♪)
観客Q: 今後、日本の漫画をテーマにした作品の予定は?浦沢直樹さんの作品のお話があったようですが?
봉監督: 映画化したい日本の漫画が20本くらいある。でも、「寄生虫」はアメリカに買われたし、「ドラゴンヘッド」は日本ですでに映画化されてしまった。日本のプロデューサーからも3本くらいマンガの映画化を持ちかけられている。一年位前に浦沢直樹さんの物もあった。私は内気で当時は「日本で撮れるか?外国で出来るか?」と怖かった。『Shaking Tokyo』を撮り終えた今なら撮れる気がするが、最近はアメリカが自国の漫画がなくなって日本の漫画を買っているので、アジアの監督ではもう機会がないのではないかと思う。
>>>>>>以上<<<<<<<
長時間パイプ椅子に座り続け、しかも会場からは一心に視線を受ける壇上で・・休憩もなく話してくれた봉監督へ深いねぎらいと感謝を・・・・・
それでも尚、もっと聞きていたいと感じる幸せな時間でした。
終了後、10数名が駆け寄りサインを貰ったり、写真を撮らせて貰ったり。・・断らずに最後まで応じてくださいました。
残念だった事が一つ。 来場者が少なかった事。 申し訳なくて・・勿体なくて。
そして、聞き漏らした部分が・・・・。
どなたかに私の聞き漏らしの穴を埋めていただけないかと、今更ながら聞き漏らした一言一句がもどかしい。